結石 retweeted
「もう男性向けが燃えてもいいから女性向けを燃やしたい、これは聖戦である、全てを賭けて戦うのだ」
みたいなことを言いながら、賭けているのは「男性向けクリエイター」の権利でしょう。
そんなになにかと戦いたいなら、自分の手の中にあるものを賭けてください。
ぼくはこの名前でやってるシナリオライターなので、こんな話に首を突っ込んでもなにも得をしません。
ちょうど仕事を募集中ですが、これを見れば依頼を躊躇する方もおられるでしょう。
自分の手の中にあるものを賭けて意見を表明していますよ。
結石 retweeted
一部男性が好むものはすでにゾーニングされていてBLは野放し、不公平ではないか?。
自分はこの視点でこの件を見ていません。
性的表現が問題とされますがそれが全て規制されれば次の不公平を探します。
あの暴力的表現は野放しでいいのか?
あれは差別的表現ではないのか?その線引きはどんどん狭められ表現者はガンジガラメになるでしょう。
少年少女青年成年と各々のカテゴリーと倫理観に基づき表現を模索することはとても大事。
しかし想像や妄想すら許されず常に息苦しさを伴う創作はその作家や作品の最大値を発揮できなくなるでしょう。
必要ないから、嫌いだから、気持ち悪いから、子どもに見せたくないから、不公平だから…理由はいくらでも探せますが規制を繰り返すとその先はどうなるのか?。
この件は焚書問題です。
現代の焚書はすでに焚かれた本すら持ち出して比較し次に焚く本を探します。
お前の本は何故キレイなんだ?と黒焦げの残骸を突きつけてきます。
コレは規制されたのだからアレも公平にという主張は次の不公平を生みます。
その線引きは誰がしますか?
一度引いたら終わりますか?
焚き尽くされたら何が残りますか?
手塚治虫先生の本が焚かれたニュースを観ていた先輩方はその時の光景と心境と課題を自分達に色々な方法で伝えてくれたのです。
結石 retweeted
まるで、森川先生が「BLだけ守ろうとしてる」とでも言いたげな人たちは、先生が普段表現の自由のために、そして我々のためにどれだけのことをしてくださっているかを考えるべきです。
普通に考えて、少年漫画の世界で日々増え続ける「規制」に苦しんでこられた先生が、「BLにだけ味方する」なんてこと、あるわけがないじゃないですか。
そして、個別の「炎上事案」と「トコトン潰しあって表現の自由を互いに吹っ飛ばしあおうぜ」なんて「運動」を同列に語ることなんてできるわけがない。
後者はまさに、漫画全てを終わらせようとする最悪の暴挙です。
「全ての漫画」のために活動されてきた先生が、声をあげざるを得ないほどの暴挙です。
ぼくは「レジスタ!」への攻撃を否定してきましたが、「相互確証破壊」とか言って表現規制を進めようとする人たちのことは、より強く否定します。
森川先生を全面的に支持します。
一部男性が好むものはすでにゾーニングされていてBLは野放し、不公平ではないか?。
自分はこの視点でこの件を見ていません。
性的表現が問題とされますがそれが全て規制されれば次の不公平を探します。
あの暴力的表現は野放しでいいのか?
あれは差別的表現ではないのか?その線引きはどんどん狭められ表現者はガンジガラメになるでしょう。
少年少女青年成年と各々のカテゴリーと倫理観に基づき表現を模索することはとても大事。
しかし想像や妄想すら許されず常に息苦しさを伴う創作はその作家や作品の最大値を発揮できなくなるでしょう。
必要ないから、嫌いだから、気持ち悪いから、子どもに見せたくないから、不公平だから…理由はいくらでも探せますが規制を繰り返すとその先はどうなるのか?。
この件は焚書問題です。
現代の焚書はすでに焚かれた本すら持ち出して比較し次に焚く本を探します。
お前の本は何故キレイなんだ?と黒焦げの残骸を突きつけてきます。
コレは規制されたのだからアレも公平にという主張は次の不公平を生みます。
その線引きは誰がしますか?
一度引いたら終わりますか?
焚き尽くされたら何が残りますか?
手塚治虫先生の本が焚かれたニュースを観ていた先輩方はその時の光景と心境と課題を自分達に色々な方法で伝えてくれたのです。
結石 retweeted
隠しておきたい短所や失敗とか。
名誉や面目が損なわれる行為や過去とか。
他者に知られたくない秘密とか。
--人はそれを、恥という。
これは恥を抱えた愚か者たちによる青春恋愛喜劇である。
骨の髄まで、お楽しみあれ。
結石 retweeted
簡単な説明になりますが
名称改称の目的は行政からつけられた不健全というレッテルで販売を控えることが少なくないのでその緩和です。
主にネットでの流通経路確保です。
東京都から指定されたとして指定されていない他府県では流通するということは現状不可能なのです。
男性向け女性向けは関係ありません。
あの時点で名称改称はとても大事なことで、それ以上のことは自分には限界でした。














