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先月、元広島カープのランディジョンソンのカードをポストしたら、まさか本人から「いいね」とメッセージをもらえるとは‼️
元気そうなのは嬉しい限り。
選手の方から直接「いいね」をいただけるとは感激です😆
タカラプロ野球カードゲーム
91,93年度版 八木裕 阪神タイガース
91 安11 本3 二1
93 安12 本2 二2
89年に16本塁打を放ち頭角を現すと、翌90年には自己最多となる28本塁打66打点を記録。
この年から3年連続の20本塁打超をマーク。
92年9月11日のヤクルト戦の9回裏に左中間にサヨナラ本塁打を放つも、野村監督の抗議で二塁打に判定が覆ってしまい引き分け(再試合)で終了。
この年の阪神は優勝したヤクルトと僅か2ゲーム差の3位で終わっただけに、ペナントレースを左右する判定になってしまったのは不運だった。
晩年は代打で存在感を発揮。勝負強い打撃で「代打の神様」と呼ばれた。
87年発売の人気野球ゲーム初代「燃えろ!!プロ野球」では、なぜか最速選手として登場。
八木の名前を初めて知ったのは燃えプロだったという人もいるのでは?
タカラプロ野球カードゲーム
88,91年度版 水野雄仁 読売巨人
池田高校時代は4番エースで甲子園夏春連覇を達成。
昭和58年ドラフト1位で巨人入団。
入団後2年は負傷などもあって活躍できなかったが、61年にプロ初勝利を含む8勝を上げて台頭。
翌62年(87年)は、自己最多の10勝を上げ王巨人の初優勝に貢献。
高校時代からバッティングにも定評があり、63年のオールスターでは投手ながら代打サヨナラ犠飛も放っている。
平成時代はリリーフで活躍。
マウンド度胸とフォークボールが武器の通称「阿波の金太郎」
現在は、巨人の編成本部長。
タカラプロ野球カードゲーム
92年度版 中村武志
中日ドラゴンズ 安11 本2 二1
88年にレギュラーを獲得して以降、打撃より強肩で知られることが多かった中村。
この91年は打撃好調。規定打席には到達できなかったが、自己最多となる20本塁打 62打点を記録。
恐竜打線恐怖の8番打者としてチームを優勝争いに導いた。
この年のハイライトは7月19日の巨人戦。
一時は8点差をつけられ敗色濃厚だったが、8回に木田から代打満塁本塁打を放ち同点。
延長10回裏には2打席連発となるサヨナラ本塁打。
1試合で満塁弾、サヨナラ弾を放つ離れ業で大逆転勝利の立役者になった。
タカラプロ野球カードゲーム
92-93度版 高橋智
オリックスブルーウェーブ
92 安11 本2 三1 二2
93 安13 本3 三1 二3
1984年ドラフト4位で阪急入団。
194cmの恵まれた体格で飛距離なら外国人選手にも引けを取らないと高い評価を得ていたが、なかなか1軍では活躍できず。
しかし、プロ入り7年目の91年に土井新監督からレギュラーに抜擢されると才能が開花。
初めて規定打席に到達しチーム最多の23本塁打をマーク。ブーマーの背番号を引き継いだ翌92年には、一時は本塁打王争いに顔を出すほどの活躍ぶり。
最後はやや尻つぼみに終わったものの
127試合 .297 29本 78打点 と全ての部門で自己ベストの数字を叩き出した。
タイトル獲得が期待されたものの、翌年から出場機会が徐々に減少。
晩年はヤクルトに移籍し2年連続で二桁本塁打を放つなど健在ぶりを示した。
タカラプロ野球カードゲーム
昭和53,59年度版 池谷公二郎
広島東洋カープ
池谷の最初と最後のカード。
昭和47年ドラフト1位で広島入団。
50年に初の二桁18勝を上げ広島の初優勝に大きく貢献すると、翌51年には20勝を上げ最多勝、沢村賞を受賞。
50年から5連連続二桁勝利を上げカープ黄金期の主力投手として活躍。
長く低迷していた広島だったが、古葉監督の就任と池谷の台頭を機に昭和50年代は4度のリーグ優勝と3度の日本一を達成。
昭和60年、古葉監督の勇退と共に現役引退。
日本テレビ巨人戦での解説が印象深い。
通算103勝84敗10S 4.13
タカラプロ野球カードゲーム
昭和56-58年度版 倉持明
ロッテオリオンズ
ヤクルトスワローズ
昭和46年ドラフト4位でロッテ入団。
5年間ロッテでプレーした後、トレードでクラウンライターへ移籍。
移籍2年目には自己最多の5勝を上げるも、僅か2年で再びロッテへ。
復帰2年目の55年には 39試合 0勝2敗18S 2.15 の好成績でパリーグ前期優勝に貢献。
翌年も11Sを上げクローザーとして活躍。
58年からヤクルトに活躍の場を移した。
娘は芸能人。
タカラプロ野球カードゲーム
92年度版 ジョニーレイ
ヤクルトスワローズ
安13 本1 二4
91年にヤクルトが推定年俸1億9300万円で獲得。
MLB通算1502安打 .290 53本 594打点。
前年まで9年連続100安打以上の大物助っ人。
レイを獲得したことにより、前年の二塁手レギュラーの飯田をセンターへコンバートさせることに。
3番打者として 110試合 .299 11本 51打点 と活躍しチームのAクラス入りに貢献。
リーグ最多の36二塁打を放ったことで、カードにもそれが反映されている。
しかし、翌92年は打撃不振でシーズン途中に退団。
「とんねるずのみなさんのおかげです 宜保タカ子」には霊(レイ)の写真として登場。
タカラプロ野球カードゲーム
昭和56-58年度版 テリーウィットフィールド
S56 安14(13) 本2 二2(1)
S57 安14 本3 三1 二2
S58 安11 本3 三1 二2
昭和56年に西武が獲得した現役メジャーリーガー。
入団1年目から 123試合 .316 22本 100打点 と大活躍を見せると、翌57年には日本ハムとのプレーオフで大活躍を見せ悲願の初優勝に大きく貢献。
契約最終年となった58年にも
129試合 .278 38本 109打点 の好成績でチームを2連覇へ導いた。
同年の巨人との日本シリーズ第7戦の7回裏に走者一掃の逆転タイムリー2塁打。
球界の盟主が入れ替わった象徴的なシーンであり、往年の西武ファンには忘れられない名場面のはず。
私費を投じて恵まれない子供達を球場に招くなどの人間性もファンから愛された。
西武球団史に残る名助っ人。
タカラプロ野球カードゲーム
94年度版 松井秀喜 読売巨人
安8 本1 二1
93年はルーキーイヤー。
開幕は2軍スタートだったが、5月2日のヤクルト戦に待望のプロ初本塁打。
この場面、投手の高津がベンチからの指示で嫌々ストレートを投じたのが真相のようだが、打球の角度と速度がとても高卒1年目の選手とは思えないものだった。
以降、再び2軍落ちを経験するも8月からは1軍に定着。
57試合ながら11本塁打を放ちセリーグ高卒新人新記録を樹立。
この年の巨人は、原、駒田、外国人などが揃って打撃不振。早々に優勝争いから脱落したこともあり、松井の活躍は数少ない希望だった。
ここで経験を積ませることができた事が翌年の優勝に繋がっていくことになる。
タカラプロ野球カードゲーム
昭和53-54年度版 トーマスマーチン
S53 安11(8) 本3(2) 二1 中日ドラゴンズ
S54 安14 本3 二1 横浜大洋ホエールズ
昭和49年に中日が獲得。
1年目から 35本塁打87打点 の大活躍を見せ中日を20年振りのリーグ優勝に導き、巨人のV10を阻止してみせた。
昭和51年には自己ベストとなる 40本塁打104打点 を記録。
同年、両リーグで100打点を超えたのはマーチンと王のみ。
中日在籍5年間で4度の30本塁打超えを達成するなど、セリーグを代表するスラッガーとして活躍。
54年に大洋へ移籍。
28本塁打 84打点 と期待通りの活躍を見せたが、この年限りで日本を離れた。












































