根暗なパリピ retweeted
「呼ばれたからってなんでホイホイ行くかな」
長嶋一茂氏は、大谷翔平選手らのホワイトハウス表敬訪問について、このような疑問を呈した。
しかし、大前提として、長嶋氏は重大な事実を見落としている。
今回のホワイトハウス訪問は、大谷翔平という一個人がトランプ大統領に招かれて赴いたものではない。
ワールドシリーズを制したドジャースというチームが招待されたのであり、優勝チームがホワイトハウスを表敬訪問する慣例は、歴代政権にわたって続いており、現政権で始まったものではない。
この前提を踏まえて長嶋氏の発言を読み返すと、そこには見逃せない論理的矛盾が浮かび上がってくる。
まず問われるべきは、「ノーサイド」を説く者が、最も不寛容になってしまうというパラドックスである。
長嶋氏は、
「スポーツというのは人種偏見、国境がないところにある」
「(試合が)終わったらノーサイドというのがスポーツの精神だと思っています」と語った。
その一方で、
「トランプ大統領が今やっていること、全く対極に位置する所にいる方と、なんでこうやってホワイトハウスに呼ばれたからって行くのかな?」と語っている。
しかし、前述のとおり、今回の表敬訪問は大谷翔平という一個人が政治家を支持する意思表示として赴いたものではなく、優勝チームとして招待を受けた公式行事である。
その前提に立てば、政治的立場の違いだけを理由に、その訪問自体を否定的に評価することは、自らが語った「スポーツには国境がなく、試合が終わればノーサイド」という理念と整合しない。
寛容を掲げながら、異なる選択を許容できなくなる。
これこそが、「ノーサイド」を説く者が陥ってしまったパラドックスに他ならない。
次に問われるべきは、「分断」を危惧する者自身が、「分断」という見方を強めてしまうというパラドックスである。
長嶋氏は、一部の選手が不参加だったことに触れ、「ドジャースまで分断してもらったら困る」と危惧している。
しかし、民主主義と成熟した組織のあり方とは、「行く自由」と「行かない自由」の双方が等しく尊重されることである。
思想や政治的立場が異なっていても、グラウンドに立てば一つの勝利という目的のために結束できる。
それこそが、本来スポーツが体現してきた多様性ではないだろうか。
個人の自由な選択に「政治的対立」という意味を与え、「分断の危機」という見方を社会へ広げているのは、皮肉にも他ならぬ彼自身なのである。
スポーツ選手は、政治家のプロパガンダの道具ではない。
それと同じように、コメンテーターの思想を代弁するための道具でもない。
成熟した社会とは、異なる価値領域を区別できる社会である。
政治は政治として論じ、スポーツはスポーツとして敬意を払う。
その境界を見失ったとき、人は他者のあらゆる行動をイデオロギーという一つの色で塗りつぶしてしまう。
喧騒の果てに響く乾いた打球の調べと、スタジアムを包み込む眩い光。
それらは決してイデオロギーの色に染まることなく、ただ純粋に頂点を目指す者たちの美しき軌跡だけを、永遠に照らし続けるのである。
長嶋一茂「スポーツというのは人種偏見、国境がないところにあると僕はずっと信じています」「全く対極に位置する所にいる方と、なんでこうやってホワイトハウスに呼ばれたからって行くのかな?」
#Yahooニュース #大谷翔平 @Dodgers
news.yahoo.co.jp/articles/6d…
根暗なパリピ retweeted
死亡確定フラグ
(投稿No.320)
#漫画が読めるハッシュタグ
#4コマ漫画









