生老病死による苦しみからの解放が仏教のテーマです。本来であれば修行をして仏(執着を捨てて生老病死から解放状態)になれればいいのですが、そこに至るには時間がかかります。個人差もあります。なので「将来必ず仏になれる(っぽい)」ということにして、直近の苦しみは一時的なことと思うことにする。その方便の中に願掛けなどがある、という感じです。
(あと、根本的な誤解として、執着を捨てるのは目的ではありません。手段です。目的は生老病死による苦からの解放です)
これだ。Play with bootsy に入ってるの。
music.apple.com/jp/album/fun…
30年くらい前のことを思い出しました。京大院修士2年生から相談を受けた。博士課程後期に進むか、就職すべきか。メーカーに就職したOBからは強く就職を勧められている。OB曰く「おまえはアホなんか。人生でもっとも頭が動く年齢を研究室で過ごすんか?日本の産業のために使ってこそ、その優秀な頭脳は活きるんやぞ」と。こう言ったことも一理あったんだなぁと振り返ることができますね。
アメリカの友人が同じような話を言っていた。ガチの真理。トヨタや日本の有力メーカー周辺が、いまだに世界で戦えているのは、まだ国内の「ものづくりのエコシステム(トヨタ村的基盤)」が踏みとどまり、理系の優秀な頭脳が辛うじて物理の世界に踏み留まっていたからです。
しかし、もし「メーカーでどれだけ泥臭く技術を磨いても報われず、横文字のパワポを並べるだけのコンサルやIT系の方が稼げる」というシグナルが若者(優秀な理系学生)に完全に固定化されたとき、日本はかつてのアメリカが歩んだ「実業の衰退と金融・知的サービスへの過剰依存」という墜落コースにまっしぐらに突入します。
モノを作れない国が、他人の褌で相撲を取るコンサル業だけで生き残れるほど、グローバル市場は甘くありません。
看病のために京都から母を関東に呼び寄せて闘病の末、関東で亡くなりました。葬儀の場所は関東で、ただ葬儀の方式は京都式とし住職も京都から来てもらいました。骨壷は京都風の小さなものにしてもらいました。いろいろとやり方の違いに戸惑いながらも、なんとか相談しながら執り行えました。
以前、更衣室で政治的発言をわめき散らしているおじさんがいてですね。私にも喧嘩をふっかけてきたりで、スタッフも困っていたのです。私、そういう困ったところは無視して、積極的に挨拶するようにしたんですよ。そしたら何度目かから、このおじさんはニコニコになって、もう来なくなりました。














