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情報の哲学研究会(略称:JaSPI)を立ち上げました。
研究拠点としてだけではなく、情報の哲学に関心のある人向けのネットワーキングの場としても機能させたいです。
当面の運営メンバーは以下です。
代表:榎本啄杜
副代表:浅野将秀
副代表:五十嵐涼介
興味がある人はご連絡ください。
関西弁の「おもんない」も当然ニュアンスとか文脈によるのであって、一対一で翻訳しようとしている人(さらには文献解釈等に従事している人)を見ると「そんな言語センスで大丈夫ですか」と思ってしまうな
(「お前おもんないで!😀」と「お前…おもんないで…☹️」があまりにも違うのは自明として)
これとかなりリンクするところがあって、
君たちは他人の意図とか実力を的確に判断できるだけの能力ないよね?
天才ならともかく、しょうもない奴らが何やってるの?
実力ないならまずは王道のやり方で真っ直ぐやるしかなくない?「正論が全てじゃない」とか言えるほど経験積んでるの?
と思うよね👊
AI臭くてなにが悪い――文章の「人間らしさ」はいつから品質基準になったのか|kj aka ルサンチMAN @kj_ressentiman note.com/ressenti_man/n/n418…
僕もほとんど同じ意見かなあ
AI臭くてなにが悪い――文章の「人間らしさ」はいつから品質基準になったのか|kj aka ルサンチMAN @kj_ressentiman note.com/ressenti_man/n/n418…
僕もほとんど同じ意見かなあ
「私は見たいよ!」「主語を言え、主語を ヤレヤレ」
みたいな会話、たぶん「話を理解するために不足している情報」のことを「主語」と呼んでいるんだろうなあと推測はするものの、なによりヤレヤレしながら頓珍漢なことを言ってるのがキモすぎて、好意的に受け取って会話を続けるのが難しくなる
榎本啄杜 retweeted
条件つき証明の項に「仮定の解消」に関する説明を追加しつつ、全称汎化の項に哲学ではなく日常的推論で全称汎化が行われている例を追加し、特定のものが最初から前提に現れないというパターンだけでなく仮定の解消によって全称汎化の条件が満たされるというパターンがあるよという注意を補足した。
榎本啄杜 retweeted
みなさんは、どちらに重きを置いて生成AIを選んでいますか
(生成AIに何を求めていますか)
26%自分と似たような能力を持っているか
74%自分の欠点を補ってくれるか
43 votes • Final resultsみなさんは、どちらに重きを置いて生成AIを選んでいますか
(生成AIに何を求めていますか)
26%自分と似たような能力を持っているか
74%自分の欠点を補ってくれるか
43 votes • Final results 榎本啄杜 retweeted
哲学の議論にはいくつかパターンがあると思うので、それらを思いつく限りリストしてみました(52個)。構成的両刀論法、反例提示、甘受、暴露、証明しすぎ、挙証責任の負担、等々。
誰かの役に立ちますように。
分析哲学議論パターン集 - Nは点対称だよ(そうだね) ceterisparibus.hatenablog.co…
妻からも何度か指摘されるし自覚もあるのだが、「やけに年上にだけ厳しい」という癖があって、それには僕の甘えとか想像力のなさが関係してるのかな。期待しすぎているというのか…。とはいえ年下をみくびっているわけでもないのだけど…。
「榎本 論理学」で検索したら昨年度のやりとりが出てきて「おお、こんなこともあったなあ」と思いながらリポストしたが、僕自身については「確かに執念深いし心外なことを言われたことは忘れない」と思っていると同時に、相手については「いろいろとストーリーを作り出すタイプで大変だなあ」と思う
うーん、まあ今回言及した「生理的に無理」タイプの人と江永さんのような「論理学イキり」に対する嫌悪感を示す人はかなり別の区分ではあるし、江永さんを晒し者にしたところで自身の理非を正当化できるとも思ってない(江永さんの言動がおかしかったのはそれはそれとして、内容的に繋がっていない)ので、あんまりピンときてないんだよな。こういうところがダメと言われればそうなんだが。
榎本啄杜 retweeted
善良で教育的である振る舞いができることと、私の「生理的に無理」的な偏見を助長させる振舞いのあいだに、矛盾はないのだろうと思う。
(自身の理非を明らかにするために、きちんと私をさらし者にする、その態度は正当なものに映るし、また、同程度の執念深さを私も持ち合わせている気がしている。)
榎本啄杜 retweeted
xitter.gq/nema_to_morph_a/status…
通知が来たのだが、ご当人にリポストいただいたようだった。私の意見がいかに偏っており、自身の工夫がいかに支持を得ているかを見せつける文脈のようだった。確か当時は、江永の言があまりにも心外過ぎて、江永が目の前に居たら手が出ていた、と述べられていた記憶があった。
xitter.gq/enomoto_system2/status…
分析哲学や分析美学の界隈のひどなどに散見される、いわゆる"論理学イキリ"の醜悪さ(と私の目には映るもの)が、極めてわかりやすく現れているように映るポスト。
英数字が"学術的"に映るだとか"きりんさん"とかが"幼児教育向け"に感じられるだとかの効果を理解している癖に
榎本啄杜 retweeted
ちなみに授業では本当にきりんさん・ぞうさん・ぺんぎんさんの証明樹を(最初の演習問題でだけ)使用しました。反応は「ごちゃごちゃして見にくい」「色分けされてて意外と見やすい」など様々だったが、「何を使ってもいいんだ、ということが改めてわかり理解が深まった気がする」という意見も。







