その仕事、誰でもできちゃうんですか?|伊賀聡一郎/エクスパーク @igaiga note.com/xparc/n/ne2f5336c01…
同感。近所の電気屋で息子と見てきた。台から手にとって、パカっと開いて、閉じた。もういちど、パカっと開いて、閉じた。そして台に戻した。高級ブランドの財布を手にした感覚であった。あったらあったで素敵なのだろう。そうした内省的な価値の意味はわかるけれど、本能的にも行動的にも個人的にはとくに自分の中では何も動かなかった。きっとこれから独特のアプリが登場して、独特の使われ方はするのだろうけれど、このプロダクトの上から長く持続的な体験が生まれるようにはいまのところ感じていない。朝の始発電車で座れた人があれで動画を見るのだろう。帰りが遅くなったとき各駅停車でたまたま座れた人があれでゲームをするのだろう。ただ、いまのところ私の人生にはそうしたストーリーが埋め込まれる瞬間が思い当たらない。私の家族のなかでも同じようにイメージが浮かばない。もちろんそうしたストーリーがフィットする人もいるのだろうし、楽しく使っていけばApple独自の答えがいずれでるのだろう。
iPhone Duoをスタンフォードショッピングセンターで見てきた。完成度の高いフォルダブルなのは間違いないが、最近のアップル製品らしく「Why」が乏しい。これは誰の生活をどういう風に変えるんだろう。折りたたみiPhoneがほしいというニーズがどこにあるのか僕にはわからない。どうしても競合のキャッチアップという感じがぬぐえない。
2007年にスティーブ・ジョブズがiPhoneを発表したキーノートを見返していた。今見てもそのイノベーションに圧倒される。そして改めて見て気づいたのは、スティーブのプレゼンはかなり背景の技術に触れていること。MacOS Xを採用したことや、マルチタッチなど。最近のアップルのマーケティング用語としてのテクノロジーではなくて、本当のテクノロジーイノベーションを基盤にして、かつてない体験を実現している。
スティーブが生きていたら、とどうしても考えてしまう。どう考えても、ヘッドセットやフォルダブルやスマートディスプレイみたいなくだらないプロジェクトなんか全部キャンセルして、今のSiriみたいに中途半端じゃない、insanely greatなAIエージェントと、それを前提にした、iPhoneを過去のものにするようなプロダクトを作ってたんじゃないかと思う。だからジョニー・アイブはioでそれをやろうとしてるんだと思うけど、。
今のフロンティアはAIエージェントであって。もう今のスマートフォンなんて2007年くらいの旧来型携帯電話とかみたいなレガシーシステムでしかない。iPhone Duoはそういう意味で旧態然としたプロダクトに見えてしまう。
【NHKニュース速報】
将棋の西山朋佳女流四冠がプロ入りを表明 史上初の女性プロ棋士誕生へ(10:35)
#nhk_news news.web.nhk/newsweb
人員を削減したらそのタスクを誰かが「がんばって」被る、というコスト削減は成立しない。技術なりシステムなりに投資してはじめて不足分が補える。
#Yahooニュース
news.yahoo.co.jp/articles/c5…
後出しじゃんけんは、後知恵バイアスやアウトカム・バイアスといった認知的バイアスとして捉えられる。「偉い人(偉そうにする人)」ほど自己呈示への関心が強く、印象管理のために、結果が出てから「最初からわかっていた」と語る。一方、それに追従する腰巾着や茶坊主は、自己防衛的な動機から、問題の責任を問われない立場を確保しようとする。そのために、組織の多くで後出しじゃんけん合戦が繰り広げられる。しかし、本来もっとも評価されるべきなのは、先行きが見えないなかで、仮説を立て、実験的に動いた人である。偉そうにして何もしなかった人、偉そうな人に口答えしたくないので黙っていた茶坊主は、後から批評家を気取るのではなく、先に動いた人の試みを検証し、改善し、支える側に回るべきである。
道路のつぎはぎから考えるUXデザイン|伊賀聡一郎/エクスパーク @igaiga note.com/xparc/n/nf4440e74da…
そこそこ大きめの本屋を覗いた。フロアの一角がカプセルトイ(ガチャガチャ)のエリアになっていた。そして、探していた本はなかった。昔はたくさん置いてあった類の本だったのだが。昔は昔、今は今…なのはわかるのだけれど、昭和から切り替わらない。
何をするチームなのだろう。海外のクラッカーを積極的にあぶりだして国際的な裁判の場に引きずりだすようなアクティビストであってほしいけれど。やられたらパッチ当ててね、っていうだけに終わってほしくないが。
赤澤経産相「ホワイトハッカー」チーム 11月立ち上げ方針表明
news.web.nhk/newsweb/na/nd-2… #nhk_news
そういう見方もあるのは理解できる。言語といつどのように接するのかによって見解は分かれるように思う。発音に注目するとするならば、カタカナではないほうがいいのは同意だけれど、音感や語音の識別能力と表現能力に依存するように思う。もちろん個人差はあるので、能力がある人はいくらでもいるだろうけれど、ある程度年齢による臨界期があるので、限界もあるように思う。
スピーキングについていえば、昔、私が日本企業にいたころ、上司はまったく英語は話せなかったが、「thisがね、thisでね」とホワイトボードで絵を描きながら、抽象的なビジネスの話を米国の大学教授に伝えていたし、伝わっていた。いわゆる日本人が「英語を話せない」というのは、そもそも日本人がリアクティブな人が多く、アクティブではないことも要因な気もする。つまり、言いたいことがないので話せないのである。
「共創的研究費」にそもそもを変える必要があるのかと。
政府公募の競争的研究費で購入の「高額機器」、大学に共用化要請…独占利用を予防し研究の底上げへ
yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/…
そのあと「鹿」と対話する研修を受けてみるとか。 nikkei.com/article/DGXZQOUC0…









