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【固定ツイ】令和になってから良くも悪くも御朱印の話題が多いので改めて。「御朱印について・もらい方」という記事を作成しています。御朱印に興味がある方はご覧下さい。節度とマナーを守り神仏へ感謝の気持ちと崇敬の念を持って寺社巡りを楽しんで頂けたらと切に願います。
jinjamemo.com/goshuin
三谷八幡神社の夜間参拝。
幻想的でしたので動画でも少しだけ。
本日は十三夜。
授与所も特別に20時まで開いていて境内も綺麗。
武蔵小山のパルム商店街はとても賑わっていましたがこちらは静か。
良いお参りができました。
#御朱印
三谷八幡神社。品川区小山。
武蔵小山総鎮守。さんやはちまん。
10月23日-11月23日まで授与の「新嘗祭御朱印」「勤労感謝御朱印」を頂きました。並べて1つのイラストになる意匠。境内にいる福禄寿と大黒天がデザインされています。各500円。
本日は十三夜。十三夜に合わせて授与所が20時まで開いているとの事で夜間参拝を。境内には竹灯籠が設置されて石灯籠にも火が灯り幻想的な雰囲気に。手水舎もお月見仕様で素敵でした。
十三夜とは旧暦の9月13日の夜に行われる日本独自の月見の風習です。中秋の名月に並ぶともされますが、満月ではなく少し欠けたお月様を愛でる風習。欠けたものを美しいとする感覚って日本的だなと思います。
.....
御朱印にある新嘗祭(にいなめさい)とは11月23日に宮中や神社で行われる収穫感謝祭です。その年の収穫を感謝して神様に新穀を捧げます。宮中でも天皇陛下が新穀を神様に供えて感謝の奉告を行い、これらを神様からの賜りものとして自らも食します。
この事から一部では神様に捧げる新嘗祭が終わるまで新米を食べるのは恐れ多いとして、新嘗祭が終わってから新米を食べる風習も。(現代は新米が出回るのが早いのでそう気にする必要もないとは思います)
現在では毎年11月23日は「勤労感謝の日」として祝日ですが元々は新嘗祭として同日が明治時代より祝日だったものです。戦後になり勤労感謝の日に改称されました。
御朱印も新嘗祭と勤労感謝の日、どちらもセットで用意しているのが嬉しいですね。
.....
三谷八幡神社は三谷延宝・元禄年間(1673年-1704年)の創建と伝わります。2030年が御鎮座350年なので1680年を創建年としています。
小山村鎮守「小山八幡神社」の氏子内で宗教上の軋轢があり分祀という形で創建しました。
現在の武蔵小山や西小山を含む広い一帯は小山村と呼ばれる村でした。古くから小山村の鎮守だったのが長元三年(1030)創建と伝わる小山八幡神社。武蔵小山や西小山などにつく「小山」の地名由来にもなった神社です。
当社周辺(現在の武蔵小山エリア)は小山村の三谷/山谷(さんや)と呼ばれた地区でした。
延宝・元禄年間(1673年-1704年)に氏子の間で宗教上の軋轢があったため、三谷地区の名主・石井助太夫が小山八幡神社の八幡神像を屋敷内に遷します。その後に当地に古くから鎮座していた「出世稲荷大明神」の境内に八幡神像を遷したと言います。
小山村三谷地区の鎮守とされ「三谷八幡宮」と称され信仰を集めました。
ちなみに今は当然そうした軋轢はありません。毎年9月に合同で「小山両社祭」を行っている程とても密接で良好な関係です。
三谷地区が武蔵小山となったのは大正時代のこと。江戸時代から戦前にかけては筍(たけのこ)の産地と知られた武蔵小山一帯。江戸・東京市中で出回る筍の殆どを生産していた時期があったとも。
大正十二年(1923)、小山駅(現・武蔵小山駅)が開業。同年、関東大震災が発生で武蔵小山周辺は壊滅的な状況となります。
大正十三年(1924)、小山駅が武蔵小山駅に改称。これは東北本線に既に小山駅(おやまえき)設置されていたため、混同を防ぐために旧国名「武蔵」を冠して「武蔵小山駅」に。
そして現在の武蔵小山駅周辺に三谷耕地整理組合が結成され耕地整理事業が行われます。駅の開業や関東大震災後の耕地整理によって爆発的に人口が増加。武蔵小山駅を中心として当地は発展していくことに。
武蔵小山といえばパルム商店街。こちらは昭和三十一年(1956)に武蔵小山商店街の第1アーケード(全長470m)が完成。その後第4アーケードまで拡張され、かつて「東洋一」とも称された「武蔵小山商店街(パルム)」に発展していきます。
昭和六十年(1985)にネーミング愛称「パルム-Palm」を決定。現在も都内では最長の800mのアーケードを有する都内でも有数の人気の誇る商店街となっています。
ちなみに武蔵小山駅を中心に「武蔵小山」(通称ムサコ)と呼ばれますが、現在の周囲の町名表記は小山・小山台・荏原・平塚・目黒本町などであり武蔵小山という地名は存在しません。これらは上述の三谷耕地整理事業が行われた地域で当社の氏子地域と重なるため当社は「武蔵小山総鎮守」という事ができます。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印 #限定御朱印
三谷八幡神社。品川区小山。
武蔵小山総鎮守。さんやはちまん。
10月23日-11月23日まで授与の「新嘗祭御朱印」「勤労感謝御朱印」を頂きました。並べて1つのイラストになる意匠。境内にいる福禄寿と大黒天がデザインされています。各500円。
本日は十三夜。十三夜に合わせて授与所が20時まで開いているとの事で夜間参拝を。境内には竹灯籠が設置されて石灯籠にも火が灯り幻想的な雰囲気に。手水舎もお月見仕様で素敵でした。
十三夜とは旧暦の9月13日の夜に行われる日本独自の月見の風習です。中秋の名月に並ぶともされますが、満月ではなく少し欠けたお月様を愛でる風習。欠けたものを美しいとする感覚って日本的だなと思います。
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御朱印にある新嘗祭(にいなめさい)とは11月23日に宮中や神社で行われる収穫感謝祭です。その年の収穫を感謝して神様に新穀を捧げます。宮中でも天皇陛下が新穀を神様に供えて感謝の奉告を行い、これらを神様からの賜りものとして自らも食します。
この事から一部では神様に捧げる新嘗祭が終わるまで新米を食べるのは恐れ多いとして、新嘗祭が終わってから新米を食べる風習も。(現代は新米が出回るのが早いのでそう気にする必要もないとは思います)
現在では毎年11月23日は「勤労感謝の日」として祝日ですが元々は新嘗祭として同日が明治時代より祝日だったものです。戦後になり勤労感謝の日に改称されました。
御朱印も新嘗祭と勤労感謝の日、どちらもセットで用意しているのが嬉しいですね。
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三谷八幡神社は三谷延宝・元禄年間(1673年-1704年)の創建と伝わります。2030年が御鎮座350年なので1680年を創建年としています。
小山村鎮守「小山八幡神社」の氏子内で宗教上の軋轢があり分祀という形で創建しました。
現在の武蔵小山や西小山を含む広い一帯は小山村と呼ばれる村でした。古くから小山村の鎮守だったのが長元三年(1030)創建と伝わる小山八幡神社。武蔵小山や西小山などにつく「小山」の地名由来にもなった神社です。
当社周辺(現在の武蔵小山エリア)は小山村の三谷/山谷(さんや)と呼ばれた地区でした。
延宝・元禄年間(1673年-1704年)に氏子の間で宗教上の軋轢があったため、三谷地区の名主・石井助太夫が小山八幡神社の八幡神像を屋敷内に遷します。その後に当地に古くから鎮座していた「出世稲荷大明神」の境内に八幡神像を遷したと言います。
小山村三谷地区の鎮守とされ「三谷八幡宮」と称され信仰を集めました。
ちなみに今は当然そうした軋轢はありません。毎年9月に合同で「小山両社祭」を行っている程とても密接で良好な関係です。
三谷地区が武蔵小山となったのは大正時代のこと。江戸時代から戦前にかけては筍(たけのこ)の産地と知られた武蔵小山一帯。江戸・東京市中で出回る筍の殆どを生産していた時期があったとも。
大正十二年(1923)、小山駅(現・武蔵小山駅)が開業。同年、関東大震災が発生で武蔵小山周辺は壊滅的な状況となります。
大正十三年(1924)、小山駅が武蔵小山駅に改称。これは東北本線に既に小山駅(おやまえき)設置されていたため、混同を防ぐために旧国名「武蔵」を冠して「武蔵小山駅」に。
そして現在の武蔵小山駅周辺に三谷耕地整理組合が結成され耕地整理事業が行われます。駅の開業や関東大震災後の耕地整理によって爆発的に人口が増加。武蔵小山駅を中心として当地は発展していくことに。
武蔵小山といえばパルム商店街。こちらは昭和三十一年(1956)に武蔵小山商店街の第1アーケード(全長470m)が完成。その後第4アーケードまで拡張され、かつて「東洋一」とも称された「武蔵小山商店街(パルム)」に発展していきます。
昭和六十年(1985)にネーミング愛称「パルム-Palm」を決定。現在も都内では最長の800mのアーケードを有する都内でも有数の人気の誇る商店街となっています。
ちなみに武蔵小山駅を中心に「武蔵小山」(通称ムサコ)と呼ばれますが、現在の周囲の町名表記は小山・小山台・荏原・平塚・目黒本町などであり武蔵小山という地名は存在しません。これらは上述の三谷耕地整理事業が行われた地域で当社の氏子地域と重なるため当社は「武蔵小山総鎮守」という事ができます。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印 #限定御朱印
日比谷神社。港区東新橋。
旧芝口町(現・東新橋や汐留地区)鎮守。かつて鯖稲荷(さばいなり)と称された神社。
御朱印は書き置きのみ。鯖稲荷と称されたように鯖のイラスト入り。※毎週水曜日は休務日なので御朱印は頂けません。
鯖稲荷と称された由来は、旅人たちのために神社を開放し無病息災の祈願を受けさせた事に由来。霊験あらたかだった事から旅人たちから「旅泊稲荷(さばいなり)」と呼び信仰されました。
江戸時代にそれが転じて「鯖稲荷」に。
その頃には虫歯に苦しむ人が鯖を食べる事を断つ(鯖断ち)をすると治ったといい、人々はお礼に鯖を奉納する風習があったと伝わります。
.....
日比谷神社の創建年代は不詳。古くは現在の日比谷公園内にあった大塚山という地に鎮座していたと伝わります。
※日比谷神社なのに日比谷ではなく新橋近くに鎮座している理由はこのように旧社地が日比谷だったためです。
かつての日比谷周辺は日比谷入江と呼ばれ海に面していました。現在の東京駅と皇居の間まで海が食い込んでいたとされています。現在の日比谷公園の大半は日比谷入江と呼ばれた海の中で一部が入江沿いの海岸だったようです。
徳川家康が入府以降は神田山切崩しなどの土で日比谷の入り江が埋め立てられて行きます。
江戸城増築のため現在の日比谷交差点付近に日比谷御門が造営されました。そうして埋め立てられた日比谷周辺には大名屋敷が立ち並ぶことに。
日比谷からの遷座を余儀なくされた日比谷神社は芝口(現・東新橋)へ遷されました。当社の氏子であった日比谷一帯の住民も当社と共に芝口(現・東新橋)へ移転。芝口にありながら暫くの間は町名も元々いた地名である日比谷町を使用していたといいます。
その後、芝口御門を造営にする事になり町名を日比谷町から芝口町へ改称。しかし、当社は日比谷の名を変える事なく現在まで使用を続けています。
そのため今は日比谷には鎮座していないけれど日比谷神社です。歴史を伝える社号です。
かつての日比谷の鎮守であった当社は、当社と共に移ってきた氏子が住む芝口町(現・東新橋)の鎮守とされ崇敬を集めました。
そして上述したように江戸市中からは通称「鯖稲荷」として親しまれるようになっていきます。
また当社周辺は日陰町とも呼ばれました。江戸切絵図にも「日カゲ丁通り」と記されているのですが、これはこの道がとても狭かった事によるもの。
なお、境内に古い社号碑が今も残っているのですが、そちらには「日陰町」の文字を見る事ができ、当時周辺が日陰町と呼ばれていた事を偲びます。
当時は初午(はつうま)=2月最初の午の日の事に例祭が行われ江戸庶民からとても人気を博し、その様子は浮世絵にも描かれています。
大正十二年(1923)の関東大震災が発生では、新橋地区は焦土と化し当社も焼失。
昭和三年(1928)、震災復興の都市計画のため当社は愛宕下町2丁目(現・新橋4丁目)に遷座。社殿が造営され以後、80年余りの間は新橋4丁目に鎮座する事となります。※現在の新橋プラザビルあたり。
平成二十一年(2009)、都市道路計画で環状2号線を建設のため再度遷座。これが現在の鎮座地です。その後も境内整備が進み現在に至ります。
現在は新橋・東新橋・汐留の鎮守として崇敬を集めています。※当社と共に新橋鎮守に「烏森神社」があり大祭は当社と交互に隔年で行われています。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印
烏森神社。港区新橋。
新橋烏森の鎮守。カラフル御朱印の先駆け的な神社。
10月14日-年内限定授与予定の「鉄道開通記念御朱印」と、10月20日-授与開始の「新嘗祭御朱印」を頂きました。御朱印は書き置きのみ。初穂料は各500円。
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「鉄道開通記念御朱印」は横浜総鎮守「伊勢山皇大神宮」と共に頒布する鉄道開通記念の御朱印です。
明治五年(1872)に新橋-横浜(現桜木町駅)間で日本最初の鉄道が開業。約150年(正確には154年目ですが)を記念してご縁に感謝して新橋の烏森神社、横浜の伊勢山皇大神宮の2社で授与することに。
1872年10月14日(太陽暦)が正式開業した日。そのため10月14日は「鉄道の日」に定められています。この御朱印も鉄道の日に合わせて同日より年内限定で授与となりました。
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「新嘗祭御朱印」は金の箔押し仕様。黄金の稲が新嘗祭ならでは。
新嘗祭(にいなめさい)とは11月23日に宮中や神社で行われる収穫感謝祭。(烏森神社では少し早く11月20日に斎行します)その年の収穫を感謝して神様に新穀を捧げます。宮中でも天皇陛下が新穀を神様に供えて感謝の奉告を行い、これらを神様からの賜りものとして自らも食します。
この事から一部では神様に捧げる新嘗祭が終わるまで新米を食べるのは恐れ多いとして、新嘗祭が終わってから新米を食べる風習も。(現代は新米が出回るのが早いのでそう気にする必要もないとは思います)
※毎年11月23日は「勤労感謝の日」として祝日ですが元々は新嘗祭として同日が明治時代より祝日だったものです。戦後になり改称されました。
ぜひ御朱印を頂いてみて下さい。
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烏森神社は平将門を討った藤原秀郷による創建の歴史を持つ神社です。
天慶二年(939)に東国(関東)にて「平将門の乱」が発生。翌年、平将門討伐のため東国に向かった秀郷が武蔵国のとある稲荷社で戦勝祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えました。秀郷はその矢を持って平将門の乱を鎮める事ができたといいます。
秀郷は感謝の証として稲荷社を一社勧請しようと検討。すると白羽の矢をを授けた白狐が夢の中に出てきて「神鳥が群がる場所が霊地である」と告げました。秀郷が当地の森まで来たところお告げの通り烏(カラス)が群がっていたのでそこに神社を創建。これが烏森神社の始まりです。
享徳四年(1455)には古河公方と呼ばれた足利成氏(あしかがしげうじ)が当社に戦勝祈願。この時の祈願状は当社の社宝として現存していて港区指定文化財となっています。
江戸時代には江戸町民からも人気の神社に。中でも明暦三年(1657)に発生した「明暦の大火」での神威が江戸町民に広く知れ渡るように。
明暦の大火とは江戸の大半を焼失させた大火事です。諸説ありますが当時の総人口50万人のうち10万人が亡くなったとも伝わります。江戸城の天守閣を含む江戸市中の大半が焼失。(江戸城は以降天守閣が再建されませんでした)
この大火の際、当社の周辺も壊滅的に焼けてしまいますが当社だけは不思議と類焼を免れました。これは神威によるものと考えられ江戸市中で大いに崇敬を集めていきます。
万治元年(1658)になるとこうした神威が第四代将軍・徳川家綱の耳に達します。家綱は社地250坪を当社に寄進。その後も徳川将軍家からの崇敬は続きました。
江戸時代の江戸では何でも番付にする事が流行。自然とお稲荷さんも番付化されました。今で言うランキング付けやTier表のようなもので江戸の頃も現代もやる事は変わらないなと思います。
天保五年(1834)に成立した『祠曹雑識(しそうざっしき)』によれば、100社程の稲荷番付の中で烏森稲荷は「東の関脇」に。三役にされている事からも江戸の稲荷社の中でも特に崇敬を集めた事が分かります。
そんな歴史のある神社ですが今は大都会の新橋において現代的な神社として存続しています。昭和四十六年(1971)に建立されたモダンな社殿、さらに平成五年(1993)に建てられた鳥居が特徴的です。
現代ではカラフル御朱印の先駆けもと言える存在に。
まだ今のような御朱印にバリエーションはなく通常の御朱印が当たり前だった時代、平成二十年(2008)前後より四隅に四色の神紋を押したカラフルな御朱印を用意するようになったのが当社。カラフル御朱印の先駆けとも言える神社として人気を博しました。現在の御朱印ブームの立役者的な一社だと言えます。
また烏森神社には様々な御神徳がありますが、癌封じの神社としても知られています。癌封じ御守は定番の授与品。
癌にならぬよう、また癌を封じ平癒するよう、精神的に癌に打ち勝つよう祈願した御守。かぼちゃがデザインされているのですがこれはかぼちゃは古来より良薬として用いられた事から。
新橋駅からもすぐ近く。ぜひ参拝してみてください。
#御朱印 #限定御朱印
御朱印・神社メモ retweeted
前回ご好評をいただきました、姫神さま御朱印の第2弾のご案内です🐍
白蛇さまの戻り道御朱印に「姫神さま(白蛇弁辨天)御朱印」が、1日限定で頒布されます✨
蛇窪神社に祀られている姫神さまを、素敵にオリジナルデザイン化した、PR映画「姫神さまと私」の制作を記念し、蛇窪神社と戸越公園駅前南口商店街の、伝承の道を繋ぐことへの想いを馳せた企画です!※神社で授与できる御朱印とは異なります。
今回は、田心姫神(たごりひめのかみ)さまがモデルです💖
全2種 各限定100枚 (各500円)
頒布場所;10月22日(木) 戸越公園駅前南口商店街「ほのぼの広場」10時~17時
お問い合わせ;三栄の家具 原誠緒
椙森神社。中央区日本橋堀留町。
日本橋堀留町(旧・新材木町)の鎮守。すぎのもり神社。
10月19日・20日は「日本橋べったら市」に合わせて恵比寿様の縁日「恵比寿神大祭仕様の御朱印」を頂けます。普段は御朱印は帳面に頂けますが、期間中は混雑のため別紙のみの授与です。
当社は日本橋七福神の恵比寿神を担うため、恵比寿様のご縁日である10月20日に合わせて恵比寿神大祭が行われています。それを記念した御朱印です。
江戸を代表する秋のお祭りである日本橋のべったら市。そのメイン会場である「宝田恵比寿神社」から当社まで途切れることなく露店が続いているのでこちらも大賑わい。
当社近くでは日本橋の名店も色々と露店を出しているのでどれも美味です。宝田恵比寿神社から椙森神社まで合わせて参拝してください。
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椙森神社の創建は平安時代以前と伝わります。天慶三年(940)に平将門討伐のため東国に向かった藤原秀郷が戦勝祈願。見事討ち取り願望成就の報賽として白銀の狐像を奉納したといいます。
更に室町時代には江戸城を築城した太田道灌が雨乞い祈願。霊験あらたかとして信仰を集めました。
江戸時代には「烏森神社」「柳森神社」と共に「江戸三森」として崇敬を集め、稲荷信仰の神社として「椙森稲荷」とも称されました。
江戸時代には宝くじの前身である富くじ興行が盛んに行われるように。
富籤(とみくじ)とは富突きとも呼ばれたくじ引き(賭博)。現在の宝くじの起源とされるくじ引きで江戸時代は幕府が許可した寺社のみで興行が許されました。寺社奉行に許可を出願し抽籤の際には与力が立ち会う形で実施。
※中でも「谷中感応寺」「目黒滝泉寺(目黒不動尊)」「湯島天神」は「江戸の三富」と呼ばれるほど盛んであったと言います。
当社もその許可を与えられた一社でした。時には三富の1つに数えられる事があったほど盛んだったといいます。
江戸後期に出版されま『江戸大富集』という当時に富籤が定期的に興行されていた寺社を記した書物を見ると、当社は「杉ノ森」と記されていて、2月・5月・8月・11月と年4回の興行が11日に行われたようです。最高金額の当たりくじも金百五十両とかなり多い額で賑わいを見せた富籤だった事が分かります。
そんな盛んだったと富籤を偲ぶ富塚が境内にあります。大正時代に建立されたものですが関東大震災で倒壊。現在の富塚は戦後の1953年に再建されたもの。
こうした歴史、そして富塚の石碑がある事から、宝くじ当選祈願などでも崇敬を集めています。
※授与品として「富久當籤入れ」といった宝くじ入れも人気です。
また毎月13日・10月3日(とみの日)には「とみの日限定御朱印」を帳面に頂けます。とみの日と金曜日が重なった日のみ「富」の文字が金文字になる特別仕様に。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印 #限定御朱印
椙森神社(中央区日本橋堀留町)は日本橋七福神の恵比寿神。そのため10月19日・20日は「日本橋べったら市」に合わせて恵比寿様の縁日に。
恵比寿神大祭仕様の御朱印を頂けます。
宝田恵比寿神社から途切れる事なく露店が続いているのでこちらも大賑わい。
※神社の詳細は夜に改めて。
#限定御朱印
宝田恵比寿神社(宝田神社)。中央区日本橋本町。
日本橋べったら市で知られる恵比寿様。
毎年10月19日・20日は例大祭。日本橋恵比寿講「日本橋べったら市」を開催。
普段は御朱印の授与がありませんがべったら市では「日本橋べったら市御朱印」を頂けます。書き置きのみ。帳面に墨書き済みの御朱印帳も数量限定で頒布していました。
日本橋のべったら市は露店もその数500軒ほど連なる大規模なお祭り。べったら漬けはもちろん数多くの露店が並びます。
日本橋の秋の風物詩。両日、夕方以降は大変混雑して賑わいます。
.....
日本橋のべったら市の起源は「えびす講」と呼ばれる例祭。
10月は旧暦で「神無月(かんなづき)」と呼ばれるのはご存知の通り。これは「出雲大社」に全国の神が集まるため出雲以外に神がいない事から神無月。後に広められた民間語源ではありますが、こうした語源が広まった事で全ての神が出雲へ出向いてしまってはその地域を鎮護する神がいなくなってしまうという事から「留守神」と呼ばれる留守番をする神も考え出されるようになりました。
この留守神にあてられたのが恵比寿神です。
そのため10月には恵比寿神へ1年の無事を感謝し五穀豊穣・大漁・商売繁盛を祈願する「えびす講」と呼ばれる例祭が10月20日に行われるように。江戸時代には広まっていた風習です。
日本橋でもえびす講が行われるようになり、えびす講の前日である19日に恵比寿様へお供えするものを売る市が立ち、魚や野菜・神棚などが売られるようになったのが起源とされています。
そしてべったら漬がよく売られるようになったためいつしか「べったら市」と称されるように。
べったら漬とは大根の麹漬の一種で東京を代表する名産品。べったら漬の由来は若者が混雑を利用し参詣の婦人に「べったらだーべったらだー」と呼びながら着物の袖につけ婦人たちをからかったことからべったらの呼名になったとか。いつしか「福がべったり付く」という縁起物としても評判になりました。
江戸を代表する秋のお祭りです。
.....
宝田恵比寿神社は創建年不明ですが、徳川家康の江戸入府以前は宝田村の鎮守「宝田稲荷」と称され崇敬を集めました。元々はお稲荷様として創建しています。
かつての宝田村は江戸城外にあった村で、現在でいうところの東京駅の近く千代田区大手町2丁目周辺。当社もその近くにあったようです。
徳川家康が江戸に入り幕府を開くと慶長十一年(1606)に江戸城拡張のため宝田村・祝田村・千代田村が移転を命じられます。馬込勘解由(大伝馬町の名主)が当社を大伝馬町に遷座。更に住民たちと共に大伝馬町に集団移動しました。
馬込勘解由(まごめかげゆ)という人物は幼少の時より徳川家康に仕え、家康が江戸入府の際は三河国から随行した人物です。移転後の宝田村に移り住み伝馬役・名主役を務めました。大伝馬町・小伝馬町・中伝馬町が成立し宝田村の移転と共に大伝馬町へ移住。以後は大伝馬町の名主を務めています。
幼少期より家康に仕えた馬込勘解由はその功により恵比寿神像を授かります。この恵比寿神像は運慶作とも伝えられていて遷座の際に当社の御神体として安置することに。
旧宝田村の鎮守「宝田稲荷」に恵比寿神像を御神体として安置した事から「宝田恵比寿神社」と呼ばれ、今のように恵比寿様を祀る神社として知られるようになりえびす講からべったら市に繋がる訳です。
普段は無人の静かな神社ですが、毎年10月19日・20日の例大祭ではべったら市が開催され大賑わいに。江戸を代表する秋のお祭り。ぜひ参拝してみてください。
#御朱印 #限定御朱印
宝田恵比寿神社(中央区日本橋本町)は10月19日・20日が例大祭「日本橋べったら市」。宝田神社がべったら市の起源です。
普段は御朱印授与がありませんがべったら市では御朱印を頂けます。書き置きのみ。
露店も数百単位でずらり。日本橋の秋の風物詩。
※神社の詳細は夜に改めて。
#限定御朱印
恵比寿神社。渋谷区恵比寿西。
恵比寿地区の産土神。
毎年10月19日・20日は秋季例大祭。恵比寿の秋の風物詩にもなっている「恵比寿べったら市」を開催。
期間中限定授与の「例大祭限定御朱印」を頂きました。数量限定でなくなり次第終了。本日も明日も授与所が開くのは11時からなのでお気をつけ下さい。
ちなみにえびすさまで有名な「西宮神社」(兵庫県西宮市)からのこの日だけの授与品やおみくじも色々用意されていますので合わせてぜひ。
恵比寿べったら市では恒例の「新福富くじ」も頂けます。現金が当たる名物くじです。抽選日は10月20日の16時より。引き換えは20日・21日。
本日は毎年の名物企画である包丁研ぎも。20日は大道芸人パフォーマンス・バナナの叩き売りも。
べったら市の名の通りべったら漬けの販売はもちろん露店もずらり。
ぜひ参拝してみてください。
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恵比寿べったら市は日本橋にある「宝田恵比寿神社(宝田神社)」で行われる「日本橋べったら市」を模して行われているイベントです。
日本橋のべったら市の起源は「えびす講」と呼ばれる例祭。
10月は旧暦で「神無月(かんなづき)」と呼ばれるのはご存知の通り。これは「出雲大社」に全国の神が集まるため出雲以外に神がいない事から神無月。後に広められた民間語源ではありますが、こうした語源が広まった事で全ての神が出雲へ出向いてしまってはその地域を鎮護する神がいなくなってしまうという事から「留守神」と呼ばれる留守番をする神も考え出されるようになりました。この留守神にあてられたのが恵比寿神です。
そのため10月には恵比寿神へ1年の無事を感謝し五穀豊穣・大漁・商売繁盛を祈願する「えびす講」と呼ばれる例祭が10月20日に行われるように。江戸時代には広まっていた風習です。
日本橋でもえびす講が行われるようになり、えびす講の前日である19日に恵比寿様へお供えするものを売る市が立ち、魚や野菜・神棚などが売られるようになったのが起源とされています。
そしてべったら漬がよく売られるようになったためいつしか「べったら市」と称されるように。
べったら漬とは大根の麹漬の一種で東京を代表する名産品。
べったら漬の由来は若者が混雑を利用し参詣の婦人に「べったらだーべったらだー」と呼びながら着物の袖につけ婦人たちをからかったことからべったらの呼名になったとか。いつしか「福がべったり付く」という縁起物としても評判に。
恵比寿神社ではこの日本橋のべったら市を模して行われるようになりました。
※本家である日本橋のべったら市は更に規模が大きく露店も数百並ぶ一大イベントです。恵比寿と同じく10月19日・20日開催なのでそちらもぜひ。
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恵比寿神社は古くは「大六天様」と称された神社で「天津神社」とも呼ばれた神社です。
創建年代は不詳ですが当社には神世七代(12柱)の神のうち6柱の神が祀られたと伝わります。
そのため古くは「大六天様(漢字は第六天を充てた史料もある)」「大六様」などと称され信仰されました。当社の御神体は六角形の面にそれぞれの面に六柱の神々の御名が彫られた石柱。現在も当社に祀られています。
明治になり神仏分離。「大六天」と呼ばれていた当社は「天津神社(あまつじんじゃ)」へ改称。
この社号は天津神(あまつかみ)から来ています。神様が住む高天原(たかあまはら)の神を「天津神」と総称します。当社に祀られている「神世七代(かみのよななよ)」の神々も天津神に含まれる神々。天津神の神世七代のうち6柱を祀る事から「天津神社」へ改称されものと思われます。
かつてこの地は下渋谷村(渋谷氷川神社が氏神様)の一画でした。恵比寿という呼称で呼ばれるようになったのは明治以降。これは今も有名なヱビスビールが地名の由来です。
明治二十年(1887)に日本麦酒醸造会社(サッポロビールの前身)が当地周辺に工場建設用地(現在の恵比寿ガーデンプレイスがある場所)を取得。その後、恵比寿麦酒(現在のヱビスビール)と命名されたビールが発売。
明治二十四年(1891)に日本鉄道のビール出荷専用の貨物駅が開業し「恵比寿停留所」と命名。明治三十九年(1906)には貨物駅の隣に旅客駅も置かれ「恵比寿駅」となり駅だけでなく駅周辺がいつしか恵比寿と呼ばれるように。
戦後になり区画整理の際に恵比寿駅前に鎮座していた当社が現在地に遷座。その際に地名に因み「西宮神社」(兵庫県西宮市)よりえびす様を合祀して「恵比寿神社」へ改称。
こうして恵比寿様を祀る神社となり現在に至ります。
現在は渋谷氷川神社の兼務社となっていますが、恵比寿商店街の方々が維持管理して大切にされています。
通常の御朱印は平日に恵比寿商店街会館にて授与しています。例大祭の時はこうして限定御朱印を出していますのでぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印 #限定御朱印
恵比寿神社(渋谷区恵比寿西)では10月19日・20日に秋季例大祭「恵比寿べったら市」を開催。
両日限定で「例大祭限定御朱印」を授与。2日間限定。数量限定なくなり次第終了。恒例の現金が当たる「新福富くじ」も。
※日本橋でも日本橋べったら市が開催。
※神社の詳細は夜に改めて。
#限定御朱印
王子神社(北区王子本町)で10月18日に開催の「一日神馬」。
真っ白な競争馬スノーエルヴァが一日神馬を務めます。
9:00-17:00記念御朱印と記念絵馬の頒布あり。
(各500体限定、無くなり次第終了)
※詳細は画像や引用元をご覧下さい。
📢おしらせ
真っ白な競走馬、スノーエルヴァが一日神馬に✨⛩️
10月18日(日)
王子神社にて「一日神馬」を務めることとなりました🐴🩷
純白の彼女が、かの地に舞い降りる瞬間を、ぜひご覧ください✨
当日は、この日のためにデザインされた、特別な限定御朱印と絵馬をご用意しております。
また、「白馬成就(はくばじょうじゅ)」として、白馬のように迷いなく進み、夢を掴むためのご利益も授かれます。
【プログラムスケジュール】
📅 10/18(日) 9:00〜17:00
📍 東京北区・王子神社
・9:00〜17:00 (通し): 御朱印・絵馬授与
・11:00〜12:00: グリーティング
・13:00〜14:00: 神馬の儀式
・15:00〜16:00: グリーティング
皆様のお越しをお待ちしております🙇
#一日神馬 #スノーエルヴァ #アオラキ #王子神社 #白馬成就
白金氷川神社。港区白金。
白金一帯の総鎮守。猫神社。
10月17日-31日まで授与の「ハロウィン特別御朱印」を帳面に頂きました🎃直書きも書き置きも対応可能です。初穂料は500円。
ハロウィンなデザインにたくさんの猫ちゃんたち。猫神社な白金氷川さまらしい御朱印です。
今年の7月を最後に諸般の事情により月替わり御朱印を終了した白金氷川さまですが、先月の例大祭、そして今回のハロウィンと、今後も期間限定の御朱印は行いたい意向のようです。
自分も含めて白金氷川さまの限定御朱印は毎月楽しみにされていた方も多いと思うので、またこうして定期的に限定御朱印をやって下さると嬉しいですね。
平時は通常御朱印として「狛犬御朱印」のみの授与となっています。ぜひ期間中に参拝してみて下さい。
白金氷川さまと言えば猫ちゃんたち。本日はご飯中の子が1匹。いつも癒されます🐈⬛
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白金氷川神社は日本武尊の伝承が残り港区内最古の神社とされる古社。江戸時代は江戸七氷川のうちの一社に数えられた神社です。
社伝によると白鳳年間(673年-685年)に創建。さらに当社が創建するより以前に日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝承も残ります。
応永年間(1394年-1427年)になると南朝の国司であった柳下上総介が当地を開墾。開墾した地を白金(しろかね)と呼び白金村が成立、白金村の鎮守とされました。
白金の地名由来は、当地を開墾した柳下上総介が多くの銀(しろかね)を所有していたため白金長者と呼ばれるようになった事が由来とされています。(そのため古くは白銀と表記される事も)
読み方は昔も今も「しろかね」です。最近はシロガネーゼ的な造語から「しろがね」と濁点を付けて読む方もいますが公式の地名も駅名も今も昔も「しろかね」が正解です。
元文・明和年間(1736年-1772年)に記されたと見られる筆者不詳の古随筆『望海毎談』には江戸の氷川明神が7社記されています。この7社がいわゆる「江戸七氷川」。当社はそのうちの1社と見られています。
また境内社の建武神社は後醍醐天皇・護良親王・楠正成などの203柱の南朝の天皇や忠臣を祀る神社です。社号の由来は建武の新政から。小さなエリアですが緑に囲まれ奥に朱色の社殿が2つ並ぶ姿は美しい空間。
この建武神社の社殿で猫ちゃん達が横になっている姿もチラホラ見かけます。
御朱印にもなっている石段を上った先にいる一対の狛犬。こちらは安永六年(1777)に奉納されたかなり古い狛犬。当時の江戸の狛犬の特徴でもある江戸尾立の尾に細身の体躯。そして個性的な表情も特徴的です。どことなくパグっぽくも見えるキュートな狛犬。
ぜひ参拝してみてください。
#御朱印 #限定御朱印
白金氷川神社の「ハロウィン特別御朱印」🎃
10月17日-31日までの授与。直書き可。初穂料500円。
月替わり御朱印は7月で一旦終了となりましたが期間限定の御朱印はまたやる様子。
猫ちゃんにも逢える事が多い猫神社です🐈⬛朝から次々と参拝者が訪れていました。
※神社の詳細は夜に改めて。
#御朱印
上目黒氷川神社。目黒区大橋。
旧上目黒村の鎮守。
10月16日-11月30日まで『わたしの幸せな結婚』コラボを開催。期間中に頂ける「コラボ限定御朱印」を頂きました。初穂料1,200円。コラボ授与品を頂いた方にはノベルティとして特製のしおりも頂けます。(ノベルティはなくなり次第終了)
「わたしの幸せな結の祈り ~新たなご縁、今ある縁を結ぶ~」と題されたコラボイベント。コラボ御朱印、コラボ御守(2種類)は限定授与品との事です。御守りも素敵なデザインでとても人気ありそうなのでお早めに。他に御朱印帳も。
境内には美世と清霞のパネルも設置されています。
他に都内だと七社神社、さらに大阪の阿倍王子神社、京都の梨木神社でも開催しています。御朱印のデザインや頒布している授与品はどこも共通です。
以前から『わた婚』の神社仏閣コラボはたまにやっていて今回3回目でしょうか?上目黒氷川神社で開催するのは今回が初だと思います。作品のファンの方はぜひ。
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御朱印情報としては10月1日-数量限定で「秋の箔押し特別御朱印」を授与しています。箔押しがキラキラ仕様。かえでちゃんの姿も。見開きサイズで初穂料1,000円。
更に10月中に授与の「秋の特別御朱印」も授与しています。こちらは上目黒氷川神社・目黒富士浅間神社・稲荷神社の3種類用意があり、御朱印帳に直接頂けます。初穂料各500円。
そして8月からやっている「開運三社巡り」も10月末まで開催中。磐井神社(大田区大森北)・大塚天祖神社(豊島区南大塚)・上目黒氷川神社(目黒区大橋)の三社を巡ります。満願すると特典の手拭いや満願御朱印を頂けます。その気になれば1日で巡る事もできます。こちらもぜひ。
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本日は宮司さんがかえでちゃんを抱っこして連れて来てくれました。相変わらず可愛らしい。ありがとうございます🐕
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上目黒氷川神社は天正年間(1573年-1592年)に創建と伝わります。名主・加藤氏によって創建され上目黒村石川組の鎮守として崇敬を集めました。
当時の上目黒村は村の中に石川組・五本木組・宿山組・上知組と小分けされていてそれぞれの組に鎮守があったようです。
江戸時代の地誌『江戸名所図会』には以下のような一文が記されています。
「この神の氏子は古へより疫災の患ひをしらず」
当社の氏子は疫病にかからなかったと記されています。定期的に疫病が蔓延した江戸時代において中々に凄い一文。そのため現在も厄除の神様として親しまれています。
境内社として鎮座している一社は目黒富士浅間神社。かつて歌川広重も浮世絵に残した目黒元富士という富士塚を由来としています。
江戸時代の目黒の名所の1つで目黒元富士と呼ばれた富士塚。
富士塚とは富士信仰(浅間信仰)に基づき富士山に模して造営された人工の山や塚の事を言います。本物の富士山に登拝するのは困難でも富士塚に登って富士を拝めば霊験あらたかとされ、江戸を中心に関東圏には数多くの富士塚が築山されました。
目黒元富士は文化九年(1812)に目黒村(下目黒村・中目黒村・上目黒村)の富士講員たちが築山。高さは12mほどで登山道があり山頂には「浅間神社」が祀られ江戸の名所として賑わいました。
あの歌川広重が『江戸名所百景』として目黒元富士を浮世絵に残しているのがその証拠です。
明治になるとそんな目黒元富士も取り壊される事に。明治十一年(1878)に目黒元富士の取り壊しが決定したため富士塚の山頂に鎮座していた浅間神社を当社境内に遷座。これが今も境内社の目黒富士浅間神社です。
そして戦後の昭和五十二年(1977)には目黒富士登山道も整備。当社にほぼ隣接する交番の横から目黒富士登山道が整備されています。一合目といった感じでちょっとした登山道ぽくなっているが特徴的。社殿などある境内まで登ると目黒富士山頂上の案内碑も。
登った先にあるのが目黒富士山遥拝所。中には唐津焼で表現された美しい富士山。昔は境内から富士山が仰ぎ見て遥拝する事ができたと言いますが、現在はこうして遥拝所から富士山を遥拝できるようになっています。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印 #限定御朱印
桜神宮。世田谷区新町。
「神習教」の本祠。世田谷のお伊勢さん。
10月1日-31日まで「キンモクセイ御朱印」を帳面に、9月25日-10月31日まで授与の「お月見御朱印」を頂きました。
「キンモクセイ御朱印」は直書きのみの授与ですので、頂きたい場合は御朱印帳を持参するか、桜神宮の御朱印帳を別途頂いてそちらに直書きしてもらって下さい。初穂料500円。
「お月見御朱印」は書き置きのみで1日300枚限定です。上限に達して終了する事もあると思いますので特に週末は早めの時間帯の参拝が良いかもしれません。十三夜当日の10月23日は十三夜のハンコが追加されます。24日-31日までは違うハンコ(おそらくハロウィン的な)を追加で押すそうです。初穂料600円。
また10月23日には「ペット七五三 健康長寿祈願祭」というユニークな祭事が行われます。要予約制。ペットの種類は問わないそうです。申し込み方法など興味がある方は公式SNSか公式サイトをご覧下さい。受付期限は18日17時まで(定員達し次第締め切り)とのことなのでお早めに。
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桜神宮は神道十三派の「神習教(しんしゅうきょう)」の本祠(教庁・神殿)とされる古式神道の神社です。
神習教は明治の神官教導職分離の時期に組織された宗教の1つ。明治時代に神道教団として公認された13の教派神道を神道十三派と呼び、そのうちの1派です。
当時、明治政府が「神社の神官は人を教え導いてはならない」という方針を打ち出したため、危機感を抱いた芳村正秉(伊勢神宮で筆頭禰宜として活動していた方)が明治天皇の勅許を得て設立した神道教団です。
本来の神道の姿に復することを目的としていて、神代より脈々と流れる伝統的な神道的価値観を教義の柱としているため「古式神道」を称します。
造化の神・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や、「伊勢神宮」の主祭神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)など多くの天津神・国津神を祀り、記紀(古事記・日本書紀)などを所依の教典としています。
上述したように初代管長の芳村正秉は「伊勢神宮」に筆頭禰宜として奉職していた方。伊勢神宮退任の際に、当時の伊勢神宮の祭主であった久邇宮朝彦親王が天照大御神の神霊を御鏡に分霊して授けたと伝わります。この御鏡を御神体としている事から「世田谷のお伊勢さん」とも呼ばれます。
そんな古式神道の神社とされるため参拝方法は二拝四拍手一拝。(拝殿前にも参拝方法の掲示があります)一般的な2回ではなく4回拍手で行います。桜神宮に参拝される方は皆さんその辺を理解していて4回拍手が鳴り響いています。
※「出雲大社」「宇佐八幡宮」などの古社では今も桜神宮と同じく「二拝四拍手一拝」を参拝作法としている事があります。
一般的な神社とは少し違うのも新鮮かもしれません。ぜひ二拝四拍手一拝でお参りしてみて下さい。
#御朱印 #限定御朱印




























































