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個人的には、『太平年』の第1話は、全編を通して最も理解するのが難しい回だと思っています。第1話でそれぞれの登場人物の立場や思惑を理解しておくと、その後の物語もスムーズに追えるようになります。逆に、最初の段階で話についていけず、視聴をやめてしまう人も少なくないのではないかと思います。
『太平年』は複数のストーリーが同時並行で進む構成になっており、歴史的背景も非常に複雑です。物語は西暦941年から始まりますが、登場人物同士の関係や当時の史実を知らないまま見ると、どうしても内容が理解しづらく、作品の面白さも十分に伝わりにくいと思います。
そのため、まずこの記事を読んでから、日本語字幕付きの第1話をご覧になることをおすすめします。そのほうが、物語をより楽しんでいただけると思います。
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🎬 いよいよ本日11月6日(金)公開!
『ちっぽけな僕の、おおきな世界』
📣 ヤン・リーナ監督から日本の皆様へ
本日、いよいよ『ちっぽけな僕の、おおきな世界』が日本の映画館で公開されます。
公開初日を迎えるにあたり、ヤン・リーナ監督から日本の観客の皆様へ寄せられた特別なメッセージをご紹介します。
2024年秋、第37回東京国際映画祭で初めて日本の観客と出会った本作。
監督は、上映会場で観客の反応を待っていたときの気持ちを振り返り、観客賞の受賞が想像を超える喜びだったと語っています。
そして、主人公チュンホーについて、こんな言葉を寄せています。
「チュンホーは英雄ではありません。彼はただ、20歳のひとりの若者です。尊厳があり、欲望があり、夢があり、怒りもあれば、優しさもある。」
障害のある青年を特別な存在として描くのではなく、一人の若者として、その尊厳や夢、葛藤を見つめたかったという監督の思いが伝わってきます。
また、映画を観終えたとき、チュンホーの中にほんの少しでも自分自身の姿を見つけてもらえたら。そして、日々の暮らしの中で、自分の周りにいる「少し違う」人たちに、これまでよりほんの少し理解のまなざしを向けてもらえたらと願っています。
「チュンホーはひとりの『ちっぽけな僕』です。でも、彼が向き合っているのは『おおきな世界』です。」
東京国際映画祭での出会いから2年。
ようやく日本の皆様に、この映画をお届けできる日がやってきました。
ぜひ映画館のスクリーンで、チュンホーの世界に出会ってください。
🎥 『ちっぽけな僕の、おおきな世界』
11月6日(金)より全国順次ロードショー
ヒューマントラストシネマ有楽町 シネマート新宿
kino cinéma横浜みなとみらい 横浜シネマ・ジャック&ベティ
109シネマズ港北 港南台シネサロン
あつぎのえいがかんkiki 小山シネマロブレ
ミッドランドシネマ名古屋空港
京都シネマ
テアトル梅田 kino cinéma心斎橋
シネ・リーブル神戸
kino cinéma天神
佐賀THEATER ENYA
鹿児島ガーデンズシネマ
ほか全国順次ロードショー
*上映館拡大中。
以前の仙侠・武侠ドラマでしか「冷門絶学」という言葉を聞いたことがなく、その意味はだいたい「修仙」や、修行の末に武林盟主になれることのようなものだと理解していました。誰かがこの言葉を使っているのを見るたび、無意識に、その人が自嘲しているか冗談を言っているのだと思っていました。
まさか、冷門絶学とは、非常にマイナーで、途絶えかかっている伝統人文学科のことだったとは。「冷」は注目度が低く、成果を出しにくく、研究者が少ないこと。「絶」は文化的価値が独特で、ハードルが非常に高く、後継者さえいないことです。例えば、甲骨学、簡牘学、敦煌学、古文字学、西夏学、危機方言研究などです。
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突然失礼します、漢服好きの者です!
中国では漢服を日常的に着やすく改良した「汉元素」というジャンルが確立されています(1,2枚目)
また馬面裙は洋服と合わせやすいので気軽に着ている方多いです(3枚目)
エプロン等と組み合わせてロリィタ風に着る汉洋折衷というコーデもあります(4枚目)
日本に伝わる「唐物」は、中国から無作為に持ち込まれた品々ではなく、幾重もの選別を経てきたものです。
平安時代には、中国などから商船が到着すると、朝廷が「唐物使」を派遣し、宮中や貴族が必要とする貴重な品々を優先的に買い上げる制度がありました。
さらに室町時代になると、足利将軍家が収集した中国の絵画や陶磁器は、専門の目利きによって評価・分類され、日本独自の美意識に基づく価値づけが進みました。
つまり、現在日本に残る唐物の名品は、中国で作られた優れた工芸品であると同時に、日本の権力者や収集家たちの審美眼によって選ばれ、代々大切に受け継がれてきた品々でもあるのです。
曜変天目が日本で大切に保存されてきた背景にも、こうした唐物の選別と伝承の歴史があると考えられます。
唐の歴史には、節度使を務めた可能性のある日本人が一人います。もちろん、唐代の節度使と五代十国時代の節度使とでは、その権限や政治的な位置づけは異なります。
『百人一首』でも知られる阿倍仲麻呂(698〜770年)は、717年に遣唐留学生として中国に渡り、その後、唐の高級官僚となった人物です。中国では「晁衡」の名で知られ、玄宗・粛宗・代宗の三代にわたって仕えました。李白や王維とも親交があり、司経局校書という下級官職から、秘書監や左散騎常侍といった中央の高官にまで昇進しました。
仲麻呂は760〜761年頃、現在のベトナム北部を中心とする地域を管轄する「鎮南都護」に任命されました。この統治機関は後に「安南都護府」という名称に戻されています。
唐の官制では、上都護府の長官である都護は正三品に相当しました。これは中央政府の六部の長官である尚書と同じ品級です。ただし、都護府には格付けがあり、すべての都護が正三品だったわけではありません。
都護は単なる軍司令官ではなく、皇帝に代わって辺境地域の軍事・行政を監督する高官でした。
『唐六典』によれば、その主な職務は、国境の防衛、治安維持、現地の諸民族や有力者との関係調整、反乱や外部勢力の動向の監視などです。また、都護府には長史や司馬などの官僚が配置され、行政や軍事に関する実務を担当していました。
つまり、都護は軍事指揮官であると同時に、辺境地域の政治的安定を維持する責任者でもあったのです。
日本の歴史学者・杉本直治郎は、仲麻呂が実際に安南へ赴任し、767年頃まで約6年間在任したと推定しています。
さらに、766年の『冊府元亀』や『安南志略』には、唐の朝廷が「安南節度使・左散騎常侍」の軍政長官に対し、徳化州や龍武州などの現地諸民族を慰撫するよう命じた記録があります。
研究者は、この記録に登場する人物を阿倍仲麻呂と関連づけ、彼が鎮南都護に加えて安南節度使の職務も担った可能性を論じています。
その後、仲麻呂は長安に戻り、770年に唐の地で生涯を終えました。彼は光禄大夫、散騎常侍、御史中丞などの官位・官職を持ち、北海郡開国公にも封じられたと伝えられています。没後には潞州大都督を追贈されました。
この場面で馮道が咳払いをしたのは、実は趙弘殷の命を救うためだったんです。
張彦沢は残虐な人物ではありましたが、武将としては有能で、石敬瑭も彼を頼りにしていたため、機嫌を損ねることもできず、処罰するつもりなどなかったのでしょう。
張彦沢を告発した掌書記の張式を切り捨てられるのなら、張彦沢に連れ去られた人を取り戻したことで彼の怒りを買った趙弘殷も、同じように切り捨てられるということです。
何しろ、乱世では武将はいくらでもいますが、戦上手な武将となると、そう多くはいませんからね。#太平年
中国ドラマ『#雨霖鈴』に登場する二人の主要人物、展昭と白玉堂は、中国では非常によく知られた侠客です。二人は北宋の名臣・包拯を中心とする物語に登場し、特に清代の侠義小説『三侠五義』によって広く知られるようになりました。包拯は実在した人物ですが、展昭と白玉堂は文学上の人物です。
展昭は「南侠」と呼ばれる武芸の達人で、後に朝廷に仕え、宋仁宗から「御猫」の称号を与えられます。一方、白玉堂は「五鼠」と呼ばれる五人の侠客の末弟で、「錦毛鼠」の異名を持つ美男子です。誇り高く負けず嫌いな白玉堂は、展昭の「御猫」という称号を聞き、猫が鼠より格上であるかのように感じて反発します。そこで開封に乗り込み、展昭に勝負を挑みます。これが有名な「猫と鼠の争い」です。
二人は性格も立場も対照的です。展昭は冷静沈着で、朝廷の秩序の中で正義を実現しようとする人物。一方の白玉堂は、自由な江湖の世界に生き、自分の信念と名誉を何よりも重んじる人物です。最初は対立しますが、やがて互いの実力を認めるようになります。原作では白玉堂は後に朝廷に協力し、謀反の調査中に「沖霄楼」の罠にかかって命を落とします。ただし、『雨霖鈴』が原作と同じ展開になるとは限りません。二人の関係は、中国の侠義文学で長く親しまれてきた物語の一つです。
🔴#WOWOW中国ドラマ
🆕11/12(木)午後8時
いよいよ日本初放送✨
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
༺『#雨霖鈴(うりんれい)』༻
伝説の剣士・展昭(#ヤン・ヤン)、
男装の令嬢・霍玲瓏(#ジャン・ルオナン)、
“錦毛鼠”白玉堂(#ファン・イールン)。
それぞれの宿命と向き合いながら
難事件を追い、巨大な陰謀に挑む⚔️
中国ドラマ『#太平年』第1話に登場する後晋・南唐・契丹・呉越。今回は、この四つの国の位置関係と、それぞれの政治的な思惑について整理してみました。
特に注目したいのは、呉越の生存戦略です。南唐との関係が友好から対立へと変化するなか、中原王朝との外交関係を維持し、海上貿易によって経済力を築いていました。
五代十国という複雑な時代を理解する参考になれば幸いです。
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中国ドラマ『#太平年』に登場する「東京」は、現在の河南省開封市にあたる都市で、当時は「汴州」「汴梁」などの名称でも知られていました。
古代の「東京」は、特定の都市の名前ではなく、都城の位置や政治的地位を表す呼称でした。「東京」「西京」「南京」「北京」といった名称は、古代中国で用いられてきた都城の命名方式でもあります。
そのため、時代によって東京と呼ばれる都市も異なります。例えば、後漢や唐の一時期には洛陽、遼では現在の遼寧省遼陽が東京と呼ばれました。
『太平年』の舞台となる五代十国時代には、都城の移動に伴って名称も変化しました。後梁では開封を「東都」と呼び、後唐では洛陽が都となりました。その後、後晋の石敬瑭が政治の中心を開封に移し、936年に「東京」と定めました。以後、後漢・後周、そして北宋でも開封が東京として使われます。
つまり、『太平年』に登場する「東京」は、後に北宋の首都として繁栄する「東京開封府」のことです。五代十国から宋へと続く歴史を理解するうえでも、覚えておくと便利な地名です。
中国時代劇を見るとき、登場人物の衣装の襟合わせに注目したことはありますか?
実は「右衽」と「左衽」の違いには、古代中国の礼制や民族の服飾文化が反映されています。
『燕雲台』では契丹人と漢人の区別に、『太平年』では耶律徳光の政治的な立場や心境の変化を表現するために使われています。
さらに、今後放送予定の『江山大同』の衣装には、日本の雅楽『蘭陵王』を思わせるものもあります。
今回は、襟合わせという小さな違いから、中国時代劇の衣装に隠された歴史を紹介してみました。
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太平年はOSTも良くてね…
周深さんの曲が最高なんだよ
youtu.be/YQmhkgCbRno?si=vH_7…
ご丁寧に参考文献まで挙げていただき、ありがとうございます。ただ、一つ気になるのは、日本のメディアについては「権力を監視し、社会問題を明らかにする」という理想的な役割から説明されているのに、中国人については「面子を傷つけられたと感じる」という心理的な動機から説明されていることです。日本側は理念で評価し、中国側は国民性で説明する。これでは、最初から比較の基準が違っていませんか。
まず、中国の問題を報道すること自体に異議を唱えているわけではありません。問題があれば、当然報道すべきです。しかし、報道されている内容が事実であることと、報道全体が公正であることは別の話です。例えば、ある国について事件や不祥事ばかりを取り上げた場合、一つひとつが事実であっても、それだけでその国の実態を十分に伝えたことになるのでしょうか。
もちろん、悪いニュースが多いという印象だけで、報道に偏りがあると断定することもできません。だからこそ、実際に何が、どれほど、どのように報じられているのかを検証する必要があるのです。しかも、ご自身で「日本のメディアは視聴者の関心を引くために刺激的な場面を切り取って報道する」とおっしゃっていますよね。それならば、その切り取り方が適切なのかと疑問を持つことも、メディアを批判的に見る姿勢の一つではないでしょうか。
次に、「面子」についてですが、これは中国だけに存在する概念ではありません。日本にも「メンツを潰す」「世間体を気にする」「恥をかかせる」という言葉があります。もちろん、何を面子と感じるかには文化的な違いがあるでしょう。しかし、それは中国人だけが面子を重視するという意味ではありません。
実際、日本社会心理学会の学術誌に掲載された末田清子氏の1998年の比較研究でも、中国人学生と日本人学生では、面子を強く意識する場面が異なることが示されています。中国人学生は能力の評価について、日本人学生は社会的地位やそれにふさわしい扱いについて、より強く面子を意識する傾向が見られたそうです。もちろん、一つの研究だけで両国民全体を説明できるわけではありません。だからこそ、国民性については慎重に語る必要があるのだと思います。
そして、ここが一番重要なのですが、仮に中国社会に面子を重視する文化的傾向があったとしても、それだけで、ある中国人が日本の報道を批判する理由まで分かるのでしょうか。実際に報道内容を検証して批判しているのかもしれませんし、誤解しているのかもしれません。あるいは、単に感情的に反発している場合もあるでしょう。それらを区別せず、最初から「中国人だから面子を気にしている」と結論づけてしまえば、相手が何を問題にしているのかを確かめる必要すらなくなってしまいます。
参考文献を何冊挙げても、その本に書かれた文化的な特徴が、目の前の個人の発言動機を証明するわけではありません。もし日本人が海外メディアの日本報道に疑問を呈した場合も、同じように「日本人は面子を潰されたと感じているからだ」と説明するのでしょうか。それとも、日本人の疑問には合理的な理由があり、中国人の疑問だけが国民性の問題になるのでしょうか。
私は、日本のメディアが必ず偏っていると主張しているわけではありません。中国人の批判がすべて正しいと言っているわけでもありません。どちらも、具体的な事実に基づいて判断すべきだと言っているだけです。メディアの客観性を重視するのであれば、メディアに対する批判も客観的に検討すべきでしょう。
そして、他国の人々を客観的に理解しようとするのであれば、まず相手の主張を国民性で片づけず、その内容を検討する必要があると思います。客観性とは、自分の側にだけ認めるものではなく、自分自身の判断にも適用するものではないでしょうか。そこまで「客観性」を重視されるのであれば、なおさらです。































